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『Lost and Found vol.4』 おわりに

2017/03/30

 

 

 

おわりにーこの小冊子について

中村寛

 

そしてその年だった……詩が訪れたのだ

私を求めて。どこからかは、わからない

冬の季節からか、川の流れからか。

どうやってか、いつだったのか

それは声ではなく、

言葉でも、静寂でもなかった

けれども街路から私を呼んだ

枝のごとくのびた闇から

不意に人びとから

熾烈な炎のあいま

孤独な帰路

顔もなく立ちつくす私に

それは触れた。

――パブロ・ネルーダ「詩」

 

 

 

 これが四巻目の小冊子になる。

 今年もまた、ユニークな表現者やつくり手たちが参加してくれた。書くという行為を通じて言葉を見なおしつづけると、自己の「殻」のようなものが崩れたり、変色したり、伸縮したりすることがある。ポジティヴな変化もあるだろうし、向き合わなくてもよかったことに向き合ってしまうこともあると思う。書くことは、エネルギーをそれだけ必要とすることだし、とくにそれを互いに音読し合い、コメントし合う労力は大きい。そして、だからこそ得るものがあるのだと思う。

 

 例年と同様に今回も、「同時代」という大きなテーマを投げかけ、それ以外は各自の判断にゆだねた。こういう集まりの醍醐味は、各人が言葉を交わすなかで勝手に化学反応が起こることだ。すべての原稿が出そろったところで改めて読みなおすと、「旅」というテーマがうっすらと浮かびあがった。サブタイトルは、だから、「同時代を旅する」とした。

 文字どおりの旅ということだけでなく、自分が慣れ親しんだ世界を離れて異なる(ように見える)言葉や習慣のうちで格闘を重ねることで、もといた世界のあり方、そこでの自分の振る舞い方を見つめなおす《旅》でもある。別の次元や渦、異なる価値とその魔力、異種のヒエラルキーのもとでの否定と承認、聴き慣れない言葉とその磁場――そうしたものへの意識の旅であるのと同時に、そこから「戻ってくる」ときに引き裂かれた身体が垣間見せてくれる同時代の深部への《旅》でもある。

 

 それぞれの書き手について、簡単に触れておきたい。

 笹目舞は、僕の担当する「文化人類学」の授業に熱心に参加してくれていた。スケッチをまじえながらノートを取る姿が印象的だった。言葉を交わすと、見てしまったことがらを捉え、格闘し、表現するための言葉を切実に求めている感じがあった。彼女は、デザイナーとしての仕事をしたあと、出産と育児を経験して大学院に入ってきた。その過程でどのような具体的経験があり、《もがき》があったのかはわからない。しかし、彼女のいくつかの作品にはそのような《もがき》が表現されているように思ったし、ここでは自身の身体に訪れた格闘や葛藤や融合を等身大の言葉で描いてみてほしいと思った。

 

 杉原未希子と出会ったのも、大学院での授業を通じてだった。ウィリアム・モリスの研究をするべく、他大学から多摩美術大学の芸術学科に入学してきた。時代状況に鋭く反応する繊細さと、自身を含めた人びとの言動を内省しつつも具体的な行動に結びつけようとする勇気とを併せ持っている印象が強い。だから以前からこの冊子に書いてほしいと思っていた。今回は、卒業後に瀬戸内国際芸術祭の手伝いをしながら直島に暮らしたときの経験を書いてくれている。彼女の人やものに触れる際のやわらかさがよくあらわれた文章だと思う。

 

 てろては、彼女が歌をうたっていたときの活動名である。彼女は、前回の三巻目の冊子で自身の被虐待の経験をなまなましく描いたユリィの文章を読んで、冊子への参加を希望していた。最近になってやっと自分の経験が被虐待だったということに気づいたと語る彼女が、他方でその聡明な頭脳のもと理路整然と言葉を紡ぐのが印象的だった。極度に発達した感受性で相手の意向を察知し、先回りして相手の聞きたがっている言葉を並べる――その能力は武器になるし評価されるかもしれないが、やがては倦み、疲弊することが本人にも自覚されているように思えた。話し合った末、支離滅裂でもいいから一度すべてを肯定して吐きだすことからはじめてみようということになった。やがて、長い時間をかけて膨大な量の言葉がでてきた。それを彼女自身の手で編集していった。

 

 安達茉莉子は、前回の参加者であるシンガーの大和田慧の友人で、いくつかの楽曲では歌詞の共作もしている。イラスト作家として活動を展開し、自分でもすでに冊子づくりを手掛けていた。プロの書き手である。だから、この集まりのなかでしか書けないものを書いてほしいと思った。今回の文章からは、彼女もまた、親密圏から身体のうちに侵入して沈殿と攪乱とを繰り返す否定のメッセージのなか、現在のような表現による肯定にたどり着いたのだということをうかがい知ることができる。

 

 間違った電車に乗っちゃってもさ

 開くのはきっといつも明るいほうのドア

 ――「Door on the Bright Side Will Open」

 

 恐れを糧にしてまた別の恐れを乗り越えていけるよって言ってくれたね

 弱虫なら弱虫のままでやっていけるんだよって

 ――「音の記憶」

 

 いずれも大和田慧との共作の歌詞だが、引用箇所は彼女の手によるものだ。そしてこれは、否定を肯定に変えて生き抜くなかで培われた智恵のようにも思える。

 

 平山みな美は、『Lost and Found』の一巻目の参加者で、現在はブックデザインなどを手掛けるデザイナーである。卒業後にデザイン事務所で働いたあと、イギリスのトットネスに留学し、約一年の滞在を経て昨年の春日本に「戻ってきた」。今回の冊子では、そのときの経験――日本語の磁場を離れ、異なる言語と習慣のうちに身を置き、やがてそれが自分の日常になる頃に、ふたたび「戻ってくる」という経験――を書いてくれている。移動の経験は、人の意識を繊細にするように思う。そのときの喜びや悲しみ、快楽や苦痛、くつろぎや違和感をどのように語るのかが楽しみだった。

 杉原未希子の場合も同様だが、長期にわたって異なる言語や文化のうちに身を置くという経験は、そうした異郷に入るプロセスよりも、じつはそこから「戻る」プロセスのほうが重要であるように思う。戻ってくるときの違和感や居心地の悪さのなかで出会ったり出会いなおしたりする言葉が、自分の体験がどのような経験に生成変化してゆくのかを方向づけるように思うからである。

 

 僕はこれまでと同様、写真家の友人である松尾眞(マコト)とともにアメリカの〈周縁〉をあるく長期プロジェクトの途上でうまれた紀行文を寄せた。今回は一巻目に書いたニューメキシコの村への再訪の旅である。

 

 全体のレイアウトやデザイン面では、執筆者でもある平山みな美にお世話になった。いつもながら、惜しみない労力に頭がさがる。心から感謝の気持ちをおくりたい。また、印刷・製本に関して、実務面では瞬報社の中村寧男さんにお世話になり、資金面では多摩美術大学の支援を受けた。謝意を表したい。

 同時代を旅するなかでそれぞれに訪れた《ことば詩》とその気配を、じっくりと味わってもらえたらうれしく思う。

 

 

二〇一七年三月

中村寛

 

 

 

 

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