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第6回 極私的ノート(その1~第1変奏から第15変奏)

 第1変奏から順番に「極私的」説明を加えてみたいと思います。

第1変奏 1段鍵盤で

 標題をつけるとしたら、「出発」でしょう。意気揚々とした変奏です。「1段鍵盤で」、という指定があるにも関わらず、手の交差が2か所出てきます。

第2変奏 1段鍵盤で

 左手が8分音符で正確なリズムを刻んでいるので、律動的な変奏と言えます。右手は2声に分かれていて、カノン風に追いかけていきます。右手だけで2つの旋律を弾き分ける必要があり、第1変奏以上に集中力を要する変奏だと思います。

 左手は、右手の2つの旋律を支える役割をしています。これを「通奏低音」と言います。

第3変奏 1段鍵盤で

 ここで最初のカノンとなります。まずは、1度のカノン。第2変奏同様、右手だけで2つの旋律を弾き分けていきます。流れるような2つの旋律に加え、左手は通奏低音ですが、右手の動きに合わせて動きが多くなっていきます。3つのラインがのびのびと歌うように演奏していくのに相応しいテンポが求められます。

 私にとっては9つあるカノンの中でも、もっとも難しく、細密な手作業を休みなくしている感覚があります。

第4変奏 1段鍵盤で

 3つずつのグループで書かれているとはいえ、第3変奏を終えると解放感を得たいからなのか、私はすぐ第4変奏に入りたくなります。この瞬間、いつもワクワクします。

 テンポの速いメヌエットのようなイメージです。音と音の間に心地よさを感じて、弾むように演奏したい曲。前半の繰り返しのあとは、チェンバロ的発想で2回目を1オクターブ上で弾くこともあります。

第5変奏 1段または2段の鍵盤で

 ピアノでは1段で弾くしかないので、忙しい手の交差になります。バッハに「鍵盤上でこういうこともできるのだよ」と言われているようです。

 ゆっくり弾くより、リスクを恐れずに弾いて名人芸的要素をアピールする変奏だと思います。私は第5変奏までを一括りにしています。

第6変奏 1段鍵盤で

 2回目のカノン(2度のカノン)です。第5変奏の終わりの音が第6変奏のはじまりの音になっているので、しり取りをしているようです。滑らかに流れるような旋律ゆえ、第5変奏の忙しさと対照的にゆったりと弾きたいところです。

第7変奏 1段または2段鍵盤で

 曲頭に「Tempo di Giga」(ジーガのテンポで)と指定があります。ジーガとはイタリア風のジーグ(Gigue)という意味です。ジーグは、イギリスの船員の踊りに由来し、飛び跳ねるような躍動的な性格の舞曲でしたが、バッハの時代には、曲の性格が変化し、2声、3声のフーガ的な書法で書かれることが多くなりました。

「1段または2段鍵盤で」と表示がありますが、手が交差する箇所はありません。

第8変奏 2段鍵盤で

 落ち着きのない子供が走り回っているイメージです。ジグザク音型が右手にも左手にも頻出し、加えて難しい手の交差が3か所あります。難易度が高い変奏ですが、腕まくりしてでも生き生きとしたテンポで弾きたい変奏です。

第9変奏 1段鍵盤で

 3回目のカノン(3度のカノン)です。第8変奏のジグザク音型とは対照的に、緩やかで抒情的な旋律のカノンです。音と音を滑らかに繋げるレガード奏法を使って演奏すると効果的です。3度のカノンともなると、2つの旋律を右手だけで2声で処理するのには、音域が広くなり無理があるので、2声を支える通奏低音をしている左手の助けもかります。

第10変奏 1段鍵盤で

「フゲッタ」という表示があります。フーガ風にという意味です。4声で、バスの旋律が4小節あり、それをテノールが模倣します。そしてソプラノ、アルトと模倣が続いていきます。

 私は、モーツァルトのオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」の第1幕のフィナーレを思い起こします。それぞれの登場人物の異なる思惑が重唱され、次の幕への期待が示されて幕が下りる、といったところです。

第11変奏 2段鍵盤で

 賑やかな第10変奏と異なり、清らかな水の流れのようなイメージです。下行音形による穏やかな旋律ではじまりますが、途中から手の交差により旋律の上行と下行が繰り返されるので、忙しさを感じさせずに穏やかに演奏するのが難しいです。

第12変奏 1段鍵盤で

 4回目のカノン(4度のカノン)です。これはカノンの項(第3回)で説明した通り、反行形のカノンです。2声の旋律の音域が広範囲に渡っています。これはポロネーズ風と言えます。ポロネーズはポーランドを起源とした3拍子の宮廷舞曲です。ドレスデンの宮廷で流行していたのがポロネーズで、当時のお殿様フリードリヒ·アウグスト二世は、ポーランド王も兼任していました。

「タンタタタッタッタッタッ」がポロネーズのリズムですが、第12変奏の中でよくわかるのは22小節目~23小節目でしょう。

第13変奏 2段鍵盤で

 前半15曲の中では、演奏時間が最も長く規模の大きな曲です。手の交差はないですが、「2段鍵盤で」と指定があります。左手の通奏低音に乗せて、右手が細かい音型で旋律を彩っていく美しい変奏です。イタリアのソプラノ歌手が、美しい声で歌っていくようなイメージです。

 このようなイタリア風の歌い回しは当時流行したもので、同時代のイタリアの作曲家アントン·ヴィヴァルディのアリア「二つの光は常に力衰え」を聴いてみると、バッハがこれを下敷きにしたわけではないにせよ、第13変奏と同じようなある種のイタリア風歌い回しが感じられると思います。

第14変奏 2段鍵盤で

 バッハは、意表を衝いたり、聞き手を驚かせたりする趣味があったのではないかと思うことがあります。この変奏は、静謐な変奏から打って変わって、動きの多い、賑やかな変奏です。目まぐるしい手の交差で名人芸を見せていきます。

第15変奏 1段鍵盤で

 前半の最後の変奏。アリアから第14変奏まではト長調で書かれていましたが、ここではじめてト短調に調性が変わります。モノトーンの世界。

5回目のカノン(5度のカノン(反行形))です。

「アンダンテ」(イタリア語で歩く速さでの意味)と表示があります。

ここで印象的なのは、ため息の音型(譜例1、赤丸で示した部分)と呼ばれるもので、十字架を背負い、苦悩に満ちた表情のイエスが歩いて行く様子を想わせます。

●譜例1

 バッハのカンタータ第56番「我は、十字架を喜んで担おう」の第1曲アリアにも同様の音型が出てきます(譜例2)。調性もト短調なので、第15変奏との共通点を感じます。

●譜例2

 喜びに満ちた変奏(1、2、8など)、ポロネーズなど舞曲的要素の変奏(4、7、12など)、イタリア様式の変奏(13)を経て、前半は重々しい空気で幕を閉じます。

髙橋 望

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