第8回 極私的ノート 追記


 第6回、第7回と2回に分けてみてきましたが、そこで紹介できなかった極私的考察をいくつか書いてみたいと思います。


所要時間について

 各変奏の所要時間をグラフにすると以下のようになります。もちろん演奏者によって演奏時間は変わりますが、私の演奏時間をもとにグラフを作成しました。縦軸は、アリア、各変奏ともに繰り返しをすべて実行した場合の所要時間(単位:分)です。横軸は、各変奏の番号です。


●各曲所要時間の推移

 こうしてみると、前半は、第13変奏と第15変奏に山があることがわかります。後半は、第25変奏に大きな山があり、全体のクライマックス、聴かせどころになっています。


 また前半、後半ともに、合計時間が、約40分になっています。バッハは時間的な配分も考慮に入れて全体を組み立てたのだと思います。


前半と後半の違い

 演奏時間の合計は、前半も後半もほぼ一緒ですが、音楽の質は前半と後半で少し異なるように感じます。最初に演奏していた頃には、よくわかりませんでしたが、演奏しつづけていくと、前半は音と音の合間の隙間がなく緻密で、細密に音が織り上げられていることがわかりようになりました。


 特に第1変奏から第15変奏までは、一寸の隙間もなく音が敷き詰められている印象で、演奏者にあまり自由が与えられていません。


 それに比べて後半(第16変奏以降)に入ると、音と音の合間に隙間が増え、より自由に演奏できる変奏が多くなります。いわゆるタメを効果的につかって演奏できる変奏が増えるのです。そして、長大な第25変奏が終わってからは、頂上が見えてきて第30変奏まで一気に駆け上ることもできます。

 前半より後半の方がより思い切った演奏ができることを考えると、後半にむかって自然と盛り上がるように全体がつくられていることがわかります。



バッハの時代

 作曲家が自分の旧作から、あるいは他の作曲家の作品から引用や転用、編曲をすることは、バッハの時代においては珍しくありませんでした。そういう技を披露できることが音楽家として能力の高さを示す時代だったので、著作権云々といわれる昨今とは正反対でした。


 バッハは、数百冊にもおよぶ16~17世紀の印刷譜と手稿譜のコレクションを持っていたようです。それらはイタリア、ドイツ、フランスなどの作曲家の作品で、同時代のものからより古い世代のものまで広範囲に及んでいました。たとえば、バッハは、イタリアの作曲家G.B.ペルゴレージ(1710~1736)の「スターバト·マーテル(悲しみの聖母)」(1736年作曲)の譜面を所持していて、この作品をイタリア語からドイツ語の歌詞に変更して編曲(BWV1083)しています。作曲されて間もない譜面が、イタリアからドイツのバッハの元にわたっていたということは、バッハがいかに最新の音楽を知ろうとしていたかがわかります。そして、その様式や技法を糧にしていたのです。


 ヘンデル「シャコンヌ」の楽譜をオランダからバッハが取り寄せたこと、それを下敷きにしてより大規模な変奏曲に仕立てたのではないかということは、第2回で述べました。第5変奏や第26変奏は、ヘンデルの「シャコンヌ」と酷似しています。


 各変奏にもさまざまな作曲家からの影響、転用があります。第7回で述べましたが音楽学者、中西泰裕さんが指摘しているように第16変奏(序曲)は、バッハの友人‧ゼレンカの序曲にそっくりです。       


 もしかしたら、さまざまな作曲家の作品からの引用がまだ発見できるかもしれません。


ゴルトベルク変奏曲が意味するもの

 ゴルトベルク変奏曲に入っている要素を私なりに取り出してみると、次のようになります。


1)作曲技術の提示

次第に度数が広がっていく9つカノンを取り入れている


2)喜怒哀楽などの多種多様な情緒表現

喜び(第1変奏など)、祈り(第22変奏など)、哀しみ(第15変奏)、イタリア様式(第13変奏)、フランス様式(第16変奏)、宗教的要素(第25変奏)、世俗的要素(第30変奏)


3)演奏家への高度な技術の要求

右手と左手の交差の名人芸


4)数学的配列

全体で32曲、各曲32小節、第16変奏に序曲、3の倍数ごとにカノンなど

 これらをすべて盛り込むには、自分がそれまでに作曲してきた種々の組曲や、協奏曲、前奏曲とフーガではなく、変奏曲という形式が一番ふさわしいとバッハは考えたのだと思います。あるいは、変奏曲を作曲するからには、音楽におけるありとあらゆることを盛り込もうと思ったのかもしれません。


 同じころイギリスでは、E‧チェンバーズ(1680頃~1740)が百科事典である『サイクロペディア』を、フランスでは、D.ディドロ(1713~1784)やJ.L.R.ダランベール(1717~1783)らが『百科全書』(1751~1772)を編纂、出版していました。


 とすると、バッハも音楽における百科事典をと考えてゴルトベルク変奏曲を作曲していったのかもしれません。

髙橋 望


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