『Lost and Found vol.2』 はじめに
はじめにーこの小冊子について
中村寛
万有引力とは ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨らんでゆく それ故みんなは不安である
二十億光年の孤独に 僕は思わずくしゃみをした (谷川俊太郎「二十億光年の孤独」)
一. この小冊子は、人間学工房のメンバーによる共同作業から生まれた。人間学工房のつくられた経緯については、すでに書いたのでここでは繰り返さないことにする。工房のなかでは、絵本の制作や映画自主上映会の企画・運営など、いくつものプロジェクトを行なってきたが、この小冊子づくりもそうしたプロジェクトのひとつである。自分たちにとっての切実な問題を書きながら、言葉を鍛えなおし、等身大の表現を紡ぎだそうとする試みだ。 今回の小冊子は、昨年度の『Lost and Found』を読み、同様の試みを継続したいと思ったメンバーを中心に編まれた。そして今回は、多摩美大生はもちろんのこと、他大学の在校生や卒業生も参加することになった。 僕が執筆者に投げかけたテーマは、前回と同様、「同時代」という大きなテーマだった。自分にとっての時代認識とはどのようなものなのか、最もリアルな問題はなんであり、その問題のためにどのような奮闘を重ねてきたのか、なるべく具体的に書いてほしいと思った。文章の書き手たちは、いわゆるプロの文筆家ではない。しかし経験を丁寧に掘りおこし、それをなるべくきめの細かな言葉で丁寧に描けば、当人にしかできない表現に近づくのではないかと思った。そしてそこに表現されたものは、たとえ劇的な展開のない何気ない日常のスケッチだったとしても、同時代のリアルな問題を浮き彫りにするのではないか、と。 それぞれの書いてきた文章を持ちより、読みあうと、奇妙なことがわかった。示しあわせたわけでもないのに、それぞれの文章に「孤独」や「ひとりでいること」がテーマとなって表われたのだ。年齢もバックグラウンドも異なる者が集まって書いたことを考えると、単なる偶然の一致には思えなかった。集まった文章群には、現代社会のなかで降りかかってくる問題と格闘し、葛藤し、もがくなかで各自が手に入れた世界観のようなものが、ゆるやかに共有されているように思えた。そしてそれは、集団主義と個人主義、公と私などの大きな対立軸を超えてあらわれる〈共同性〉や〈個〉のあり方について多くを語っているように見えた。 各自のテーマとその重なりがおぼろげながら見えてきたところで、タイトルについての話しあいが持たれた。その結果、メインタイトルを昨年に引きつづき「Lost and Found」としたうえで、サブタイトルを「個+個=同時代」とした。このサブタイトルの発案者は、執筆者のひとり友田真衣子だ。〈個〉として生きようとする人びとが連なり織りなす同時代、〈個〉として同時代に向きあうなかでつくられる〈共同性〉、〈共同性〉のかたちづくられるなかで姿を現す〈個〉などの意味を込めた。
二. 参加者が増え、多様化したことで改めて見えてきたこともあった。それは、美大であるか一般大学――という言い方がすでに変だけれども――であるかを問わず、参加者たち全員がある種の表現への渇望を抱えているということだ。 多摩美術大学だけでなく、中央大学や明治学院大学、一橋大学などで講義をしてきた僕は、各大学の学生の特徴について尋ねられることが多い。そのたびに僕は、答えに窮してしまう。もちろん、一般的な傾向についてはある程度のことが言える。多摩美大の学生は、物心つくころにはすでに手を動かし絵を描いていた人が多い。彼らのうちの大部分が、手紙や日誌を書くようにして絵を描いていた。彼らにとって絵を描くことは、「表現」などと改めて言ってみるまでもなく、呼吸をするくらいに自然な行為なのかもしれない。その意味で彼らにとって、なにかを思いついてからつくり始めるまでの距離は、比較的短い。もちろん、その〈つくる〉営みを、仕事として認められるほどの技芸(アート)とするためには、継続的な訓練が必要になるのだけれど…。 他方で、たとえば中央大学の学生たちは、チームになってひとつのことに取り組むことに長けている。彼らの受けるトレーニングは、読んで、聞いて、学んだことをまとめる力を伸ばすためのもので、そこでは極力、「固有名」や「個性」を消すことが求められる。自分独自の意見はそこではさほど必要とされないし、ましてやレポートや論文を一種の「表現」だと考える人は少ない。「表現」は、そこでは、資料の読解や整理、各種の報告や説明とは異なる、美的で高尚ななにかであって、時として、専門トレーニングを受けた「つくり手」によるもの、あるいは生まれつきの才能に溢れた「アーティスト」によるものだと思われている節がある。けれども彼らは、チームとして行動をともにするとき、個人の能力をはるかに超えた力を発揮するし、彼らのグループ全体に配慮する力はずば抜けたところがある。そして、本当は資料の整理や報告文だって、いかにそれが「芸術」のイメージからかけ離れているとしても、ひとつの表現なのだ。 しかし、このように美大生と一般大生とをわかりやすい印象に基づいて区別し、固定して理解してしまうことには、あまり実りがないように思う。実際、こうした一般的傾向にまったく当てはまらない人も両大学には大勢いる。行動が早く、表現力に長けた中大生もいるし、熟考型でチームプレーを得意とする多摩美大生もいる。言うまでもなく、それは当たり前の話で、むしろ問題なのは、大学におけるトレーニングが、先の一般的で典型的な傾向を強める方向に作用することだ、と僕は思う。 多摩美大生が表現することに長けているように見えるのは、表現することへの躊躇(ためら)いが少ないからに他ならない。そしてそのように、つくろうとするまでの心理的障壁が小さいことは、心的な傾向性にかかわっており、生まれつきの気質や才能ではなく、基本的に訓練や文化的環境の産物である。中央大学の学生がグループワークにおいてすぐれた力を発揮することも、同様に、訓練と文化的環境の産物である。こうした傾向は、だから、時間をかけてじっくりとではあるけれど、つくりかえてゆくことができる。そしてそれは、大学でできることのひとつだ、と僕は思っている。 だから、大学の授業やゼミナールでは、逆の傾向性を刺激する内容をなるべく心がけてきた。たとえば、固有名のもとで作品発表せざるを得ない、とりわけファインアーツ系の多摩美大生たちには、ひとつの文献にグループで取り組んでもらい、議論した成果を発表してもらった。この試みは、予想以上に反応がよかった。彼らは、ゴツゴツとしたディスコミュニケーションに満たされたグループワークを楽しんでいるようだった。チームの一員として振る舞うことを強く求められる世界で生きてきた中大生たちには、自分の好きなもの、関心のあるものについて、10分間のなかで好きなやり方で発表してもらった。彼らは、緊張しながらも、自分の関心事を、自分の感情を殺さずに、自分の言葉で語り表現できる場を喜んでいるようだった。 この小冊子は、こうした授業やゼミナールでの試みの延長線上にある。
三. 今回の小冊子づくりは、多摩美大生の池田萌子、小野初美、中大生の石井水城、浦川逸、成田有沙によってスタートした。プロジェクトが少し進行したところで、すでに東洋大学を卒業し、職を得て働いている友田真衣子が加わった。 池田萌子は、多摩美術大学の文化人類学の授業に参加していた。そして、2012年度から2013年度にかけて人間学工房で行なった絵本共同制作のプロジェクトにも参加し、活躍してくれた。多くの多摩美大生がそうであるように、彼女は言葉を尽くして自分のことを説明するタイプではない。それでも、彼女の言葉の端々からは、自らの創作と現代社会とを結びあわせて捉えようとする意志が感じとれた。今回の冊子では彼女は、自分にとって陶器を焼くという経験がいかなるものなのかを辿りながら、3.11以降の自らの省察を書き綴っている。 小野初美は、社会人入試を経て多摩美術大学の夜間学部に入学してきた。彼女は、僕の行なう文化人類学やアメリカ文化史の授業に強い反応を示した。教室のなかで熱心に耳を傾ける彼女の姿が記憶に残っている。授業の合間に言葉を交わすようになって、彼女が介護士として福祉の仕事に携わってきたことを知った。ここに収めた文章でも、彼女はそのときの経験を語りながら、自分にとって絵を描くことの意味がどのように変化したかを書いている。普段の彼女の飄々(ひょうひょう)とした話し方からは想像できないような日々が、そこには読みとれる。 石井水城は、中央大学で僕が受けもつゼミナールに所属する学生で、いつも手間を惜しむことなく積極的にさまざまな活動に携わり、ゼミ運営においても仲間に声をかけ配慮しつつリーダーシップを発揮してきた。グループ全体に配慮しながら、骨の折れる細かな仕事も率先してこなすことは、なかなかできることではない。そしてそれだけに、今回の文章のなかで彼女が自分の受けたいじめの体験や、これまでに味わってきた孤独を吐露していることを意外に思った。しかし、それだけの孤独を感じてきたことが、現在の活動の原動力になっているようにも思える。 浦川逸も中央大学の僕のゼミナールに所属している。ゼミのなかでは一見すると強く自己主張することなく、やわらかな印象を与える彼だが、彼の文章は高校のときに偶然出会った歌詞への違和感から始まる。そこには、世界がひとつではなく、またひとつになり得ないことが歌われていたという。彼は自分自身の違和感を掘り下げ、中学時代に部活動の部長や学級委員などのリーダー役として、仲間たちをひとつにまとめようと生真面目に奮闘し、失敗した経験を想い起こす。やがて彼は、ばらばらであることの連なりや、異なる存在同士を認めあうことの価値に思い至ってゆく。 成田有沙もまた、石井や浦川と同様、中央大学文学部の学生で、僕のゼミのメンバーだ。本が好きで、とりわけファンタジー小説を好むという。先に述べたように僕のゼミでは毎年、自分の好きなことや関心のあることについて、10分間をつかって語ってもらう時間をとっている。そのときも彼女は、本についてとりあげていた。今回の文章で彼女は、淡々とした静かな文体で自分の日常生活をスケッチしながら、家族のことを語っている。そしてそこには、「ひとり」である時間のあり様が鮮やかに描かれている。彼女にとって「ひとり」であることは、必ずしも否定的な意味での孤立や孤独を意味しない。それは彼女にとって宿命的に必要な時間なのかもしれない。 友田真衣子と初めて出会ったのは、僕が多摩美術大学で教え始める前だった。彼女は、当時僕が勤めていた大学受験予備校の生徒で、受験勉強のための合宿で言葉を交わすようになった。世界に対する表現しきれぬ違和感を刺のように全身に宿しつつも、他者に対する優しさをあわせ持っている姿が、今でも強く印象に残っている。大学に入ってからも、卒業してからも、連絡が途絶えることはなかった。彼女は今回の文章で、食べるという営みを通じて、人と人との関係のあり方、家族のあり方を自分の経験を踏まえて書いてくれた。これまでのやり取りで、断片的に聞いてはいたが、彼女の幼いころの体験をまとまったかたちで知るのは僕にとっても初めてのことだ。 僕は、前回の紀行文に引きつづき、写真家の松尾眞とともにハワイ諸島を訪ねたときのことを書いた。アメリカの〈周縁〉を訪ねあるくプロジェクトの過程で生まれた小作品である。 それぞれの執筆者は、気質や表現方法、認識の深度は異なるが、現代社会への違和感を抱え、それを消すことができない人たちばかりだ。そしてそれがゆえに、なんらかの生き難さを感じつづけている。僕はその違和感を大切に守りつづけてほしいと、勝手ながら願っている。それは今ある世界を、現代の文化を、つくりなおし、担ってゆく際の原動力になってくれるだろうと思う。
参加者全員がすべての工程にかかわり、話しあうなかで手づくりの冊子をつくろうと始めたプロジェクトだったが、レイアウトやデザイン面では、多摩美術大学造形表現学部デザイン学科(2013年度卒業)の中山大さんにお世話になった。すでに仕事を抱え、自分の時間が取れないなかで、それでも惜しむことなく力を貸してくれようとする彼がいなければ、この冊子の完成はなかった。特別の感謝の気持ちを送りたい。また、印刷・製本に関しては、多摩美術大学から資金面での援助を受けた。謝意を表したい。 参加者ひとりひとりの同時代のリアリティを、じっくりと味わっていただけたらうれしく思う。
※原文中の傍点は太字で、ルビは( )で表記しました
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