第7回 極私的ノート(その2~第15変奏から第30変奏)
(2020.06.03 update)
十字架を担いだイエスを思わせる沈鬱な第15変奏のあとは、小休止したくなります。実際に演奏家によってはここで一旦袖に下がり休憩にする場合もありますが、私はピアノの前で1分ほど小休止を取ります。音のない時間を聴き手と共有すると、次へ入りやすくなります。
第16変奏 1段鍵盤で
80分もかかる曲を一息に演奏すると、奏者も、聴衆も大変です。メリハリをつけるためにバッハは、各変奏の配列も工夫していますが、その際たるものが中間地点に序曲を置くというアイディアだと思います。
沈鬱な雰囲気を一気に祝祭的な序曲で転換し、後半部の新たなスタートと位置付けたのです。
私の友人の音楽学者中西泰裕さんによると、第16変奏(譜例1参照)は、J.D.ゼレンカ(1679~1745)の序曲(ZWV188)(譜例2参照)を下敷きにしているとのこと(中西泰裕さん主宰音楽サロン「大バッハのゴールドベルク変奏曲にみる古典音楽の伝統」2017年8月31日)。たしかに譜面上、そっくりです。
●譜例1
●譜例2
バッハは、ドレスデンの宮廷教会の作曲家だったゼレンカをライプツィヒの自宅に招くほど親しく、また彼の作品を高く評価していました。
第17変奏 2段鍵盤で
序曲の後半のフーガの動機を使ったジグザグ音型が続きます。童話に出てくるような小人たちが、せっせと何かを作っているようなイメージがあります。 手の交差も頻出しますが、両手が接近して弾き続ける箇所も多く、集中力を要する変奏です。
第18変奏 1段鍵盤で
6回目のカノン(6度のカノン)。6度ともなると音程の幅が広く、右手だけでは手に負えなくなるものですが、バッハはうまく工夫して右手だけで2声のカノンを弾けるように旋律を設定しています。1箇所だけ左手の助けを借りるだけです。左手は、舞曲風のリズムで積極的にカノンの旋律を装飾します。
第19変奏 1段鍵盤で
3拍子の可愛らしい舞曲のイメージです。オルゴールが鳴っているように感じることもあります。カノンではありませんが、3声で書かれています。最後の小節の音型はそのまま次の第20変奏の音型となります。
第20変奏 2段鍵盤で
恐ろしいまでの手の交差があります。手の交差のある変奏の中では、1番の難関です。私のイメージは、片足や両足で遊ぶ、「ケンケンパ」をしているようです。難曲を弾き終えると、直ぐに次の変奏へ入りたくなります。
第21変奏 1段鍵盤で
7度のカノン。2回目のト短調。第15変奏のト短調とはまた性格が異なり、おどろおどろしい曲に思えます。私はラモーへのオマージュと解釈しています。ジャン‧フィリップ‧ラモー(1683~1764)の「未開人」に共通したものを感じます。また、どろどろの恋愛劇を見ているようでもあります。
第22変奏 1段鍵盤で
教会の天井から降り注ぐ讃美歌のような変奏。低音主題がここではっきりと聴き取れるので、「これを忘れないでよ!」とバッハは言っているかのようです。静かに祈るようにして閉じられます。
第23変奏 2段鍵盤で
カノンのように始まりますが、下行音型を短く切って奏していくと効果的で、私は笑い声を模しているように感じます。標題を付けるとしたら「笑い!」です。ハッハッハッ…と言っているようです。
第24変奏 1段鍵盤で
オクターブ(8度)のカノン。牧歌的な性格の変奏です。1オクターヴのカノンということは、追いかけるメロディは1オクターヴ下の同じ音から始まるので、第3変奏と同じ類と考えます。
第25変奏 2段鍵盤で
全曲中、最も規模の大きい変奏。アダージョ(「ゆったりと」という意味)の表示があります。3回目のト短調の変奏ですが、沈鬱でもおどろおどろしくもない、心の深奥からの嘆きが感じられます。イエスの受難を見た天の嘆きかもしれません。 心の襞に入ってくるような複雑な表情は、冒頭3小節の中に1オクターヴの中の全ての音(12音)を使用しているゆえだと思います。(譜例3参照)
●譜例3
深い哀しみと共に曲を終わらせることもできたかもしれませんが、バッハはイエスに同情しつつも、何とかなるさ!という面も持っていたのではないかと思わせるのが、次の変奏です。
第26変奏 2段鍵盤
ここでト長調に戻ります。手の交差の難しい、しかし陽気なこの変奏を弾くと、バッハは意外にも楽観主義者だったのではないかと思うことがあります。第1回で説明した通り、この変奏はヘンデルのシャコンヌに似ている部分があり、私はヘンデルへのオマージュと解釈しています。
第27変奏 2段鍵盤で
9度のカノンです。9回目のカノンになりますが、はじめて2声だけでできているカノンで、これまでのように低音部の支えはありません。 2人のピエロが、お互いにマネをしあっているイメージです。
第28変奏 2段鍵盤で
ここにきて、バッハは新しい技巧を示します。トリル(「音を震わせる」という意味)がほぼ休みなく出てきますが、トリルをしつつ、一方で高音域に旋律を浮き立たせていきます。ゴルトベルク変奏曲の終盤に差し掛かり、バッハは新たな難題を次から次へと繰り出して来ます。
第29変奏 1段、または2段鍵盤で
標題をつけるとしたら「驚き」です。和音を強打していくのは、さながら感嘆符「!」が沢山ならんでいるよう。その後は、その驚きに反応して即興演奏を思わせる走句が続き、休みを置かずに最後の変奏に移ります。
第30変奏 クオドリベット
第3回で説明したように「長い間会わなかったな、さあおいで」と「キャベツとカブに追い出された。母さんが肉でも出してくれたらもっと長居したのになあ」という2つの民謡からなる旋律を同時進行させ、さらに低音主題で支えていきます。バッハの作曲技術の粋がここにあります。
「長い間会わなかったな、さあおいで」に導かれるように冒頭のアリアが回帰されます。
アリア・ダ・カーポ
長い旅が終わり、出発点であるアリアに戻ってきました。
初版の印刷譜には、第30変奏のあとには「アリア·ダ·カーポ」(「冒頭のアリアをもう一度弾きなさい」という意味)と書いてあるだけで、譜面は書いてありません。
髙橋 望
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