パウゼ(Pause)その2 留学時代の思い出

レーゼルのレッスン

「Viel Leute!」(受験者はたくさんいます)


 1998年5月にドレスデン文化宮殿で行われたドレスデンフィルハーモニー管弦楽団の演奏会でピアノ協奏曲を演奏したペーター‧レーゼルの楽屋を訪ね、初めて挨拶したときに言われた言葉です。


 ドイツのピアニスト、ペーター‧レーゼル(1945~)は、演奏活動に加えて1993年からは生まれ故郷であるドレスデンの音楽大学(Hochschule für Musik Dresden‘Carl Maria von Weber’)の教授もつとめていました。私は高校生時代、レーゼルが演奏するブラームスのラプソディのCDを聴き、厳しいまでに透徹した演奏に感銘を受け、レーゼルのもとで学びたいと思っていました。


 ドレスデン音大のレーゼルのクラスで学びたい旨の手紙と、自分の演奏音源を添えてレーゼルへ送りました。2週間ほどするとファックスで返事があり「貴方の演奏を気に入りました。今、私のクラスには空きがありませんが、貴方が私のクラスに入れるようにやってみましょう。しかし100%の約束はできません」とありました。


 2か月後、ドレスデン音大の試験を受けるために渡独、入学試験の数日前にレーゼルが出る演奏会があり楽屋を訪ねたところ、冒頭の言葉がありました。希望者が多いので、わかりませんというニュアンスでしたが、幸い試験には合格することができ、1998年10月から2002年6月までの約4年間、レーゼルのクラスで学びました。


 最初のレッスンでは、ベートーヴェンのピアノ‧ソナタ第11番を弾きました。ベートーヴェンを弾きますというと、先生はいたく喜んでいたことが印象に残っています。ドレスデンの音楽大学では、バッハやモーツァルト、ベートーヴェンなどを学ぶことが特に大切にされていると感じました。演奏効果や、アクロバティックな技術を求める音楽よりも、古典音楽の様式を身につけることが重要視されていたのだと思います。


 先生のレッスンは、週1回90分でした。毎回暗譜で弾くのが通例でした。たとえばベートーヴェンのソナタ第11番は25分ほどの曲ですが、まず先生の前で通奏し、それからアドバイスをもらいます。だいたい同じ曲をレッスンに3回持っていくと、終わり際に「次回の新しい曲は何ですか?」と聞かれました。たしかその次には、バッハのイギリス組曲第3番(20分ほどの曲)を弾き、数週間後にはブラームスの7つの幻想曲集を弾いたと思います。


 先生と一緒に一つの作品を仕上げていくというプロセスではなく、演奏家が演奏家にアドバイスをもらっている、そんな雰囲気のレッスンでした。こういう環境に身を置いていると、先生に何を学んだかよりも、自分で何を見つけたかということのほうが大切なのだと痛感しました。レッスンを重ねているうちに、明日代役で演奏会をしてもらえませんか?という要求にもこたえられるような気がしてきました。そのくらいレパートリーを増やしていくことができました。


 夏や春の長期休暇中に、次の学期に勉強したい曲を3時間分くらい決めておきます。たとえは、ベートーヴェンのソナタ第30番、ドビュッシーの「映像」第1集、シューマンのピアノ協奏曲、バッハのパルティータ第2番、シューベルトのピアノ‧ソナタ第21番、モーツァルトのピアノ‧ソナタ第9番などです。まず譜読みをし、加えてそれぞれの曲の構造を理解するようにしました。授業が始まると、その中から、仕上がりのよい曲を暗譜してレッスンに持っていき、その間に次の曲を準備するといった形を私はとりました。


 ピアノソロの曲だけではなく、ピアノ協奏曲(ピアノとオーケストラのための曲)も先生のもとでたくさん習いました。オーケストラと練習するわけにはいきませんので、レッスンではオーケストラのパートをもう1台のピアノで先生が弾いてくださいました。モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、リストなどのピアノ協奏曲を学びました。


 先生は、コンサートピアニストとしてピアノ協奏曲のレパートリーが50数曲ある方です。この場合のレパートリーとは、急な依頼でもすぐに対応できることを意味します。またオーケストラとの共演も、ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団だけでも200回を超える経験があるので、「このフレーズは、オーケストラと合わせにくいから指揮者とよく確認するように」とか、「ソロパートをこのように弾けば、オーケストラの人も演奏しやすい」などオーケストラと共演する際のポイントを多く教えてくださいました。


 ある演奏会で先生は、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を演奏したのですが、途中拍子とテンポが変わる部分で、先生の百戦錬磨の技を見たことがあります。本来は指揮者がオーケストラに示すべきテンポの変化を、先生は変化の直前のフレーズの弾き方で示していました。先生の弾き方にオーケストラが呼応し、自然に新たなテンポが導きだされたのです。

ドイツの学生生活

 ドレスデン市内には工科、音楽、美術、バレエの4つの大学がありました。すべて公立の大学でドイツ人はもとより留学生に対しても学費はありません。市内公共交通機関も学生証がフリーパス代わりでした。


 ドレスデン市内にこの4大学の学生のための学生寮が十数か所点在していて、私はその一つに住んでいました。地下にピアノ練習室がありましたが、いつも練習できるとは限りません。自室にはピアノがなかったので、大学の練習室やレッスン室で練習をしていました。たっぷり時間があるので、基礎練習だけで1時間~1時間半くらいかけてやっていました。


 演奏会やオペラに行かない日は、朝6時すぎに起床し朝食をとり、寮の前の停留所から路面電車に乗り4分ほどで大学へ到着し、7時から9時まで練習します。その後、スーパーで買い物などして帰宅。昼食後は、寮の地下の練習室で1~2時間練習し、夕飯をすませて再び路面電車に乗り大学で19時~22時近くまで練習していました。1日に6~7時間は練習していたと思います。


 演奏会やオペラに行く日は、たいてい19時30分か20時の開演なので夕飯をすませ、歩いて歌劇場や演奏会場へ出かけていました。その日に聴く演目を、数日前から予習するのが好きでした。オーケストラの演奏会ならば、演奏予定の交響曲の楽譜を読み、CDを聴きました。オペラの場合はあらすじや台本を読み、CDを聴いてから出かけていました。ドイツ語圏のオペラ上演は、物語の設定から変えてしまういわゆる読み替え演出が主流でした。主なアリアや大まかな歌詞までを頭に入れておくと、どんな設定になっていても楽しむことができました。


 留学して最初の頃は、毎朝近所のパン屋さんにパンを買いに行っていました。新鮮なドイツパンは本当に美味しいのですが、日本のようにトースターで温めるわけでもなく、バターを塗るか、ハムやチーズをはさんで食すだけなので、だんだん閉口してきました。そこでベトナム人が経営していたアジアショップで白米を買い、鍋でご飯を炊いたりもしました。竜田揚げや麻婆豆腐もよく作りました。ドイツ料理は美味しくて大好きですが、私の場合、毎日3食というわけにはいきませんでした。味覚は日本仕込みなのかもしれません。ちなみにドレスデンでの私の学生生活の様子は『オペラ放浪記 2001年編』(原田満著、知玄社)にも詳しく取り上げられています。


 レッスンは週1回で、そのほかは練習の日々でした。その合間にオペラや演奏会に数多く通いました。4年間でオペラと演奏会に通算550回通いました。


 ドレスデンの歌劇場(ザクセン州立歌劇場)の座付きオーケストラは、世界最古のオーケストラであるシュターツカペレ‧ドレスデン(ザクセン州立歌劇場管弦楽団)でした。この歌劇場では毎晩オペラやバレエが上演されています。19世紀にはウェーバーやワーグナーが指揮をして自作を初演しています。ワーグナーは、このオーケストラを「魔法の竪琴」と呼び称賛しましたが、弦楽器と管楽器が溶け合い、木質感のある柔らかい響きが奏でられるのは本当に美しいものです。


 州制による地方分権、ビールも地ビール、新聞も全国紙より地方紙が主流のドイツは、オーケストラの奏法もその地方の言語(方言)と結びついているように感じました。レーゼル先生もこのオーケストラを幼いころから聴いて育っているので、ドレスデンの音楽家は共通の音楽言語をもっているように感じられました。


 たとえば、レッスンで取り上げたモーツァルトのソナタのあるフレーズで、どこに重点を置くかなどの助言と、歌劇場でシュターツカペレ‧ドレスデンが奏するモーツァルトのオペラのフレーズに共通点を感じました。


 先生も幼い頃からこのオーケストラの音色で育ってきたわけですし、私もその中で勉強できたことは大きな財産でした。

髙橋 望

▶︎ 第9回 後世への影響

▶︎『ゴルトベルク変奏曲への旅』TOPへ